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エリーナ・ガランチャ [音楽]

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このゴージャスな美女は、私のお気に入りのオペラ歌手エリーナ・ガランチャさん[揺れるハート]

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七つの大罪と七つの美徳 [キリスト教]

マインさんの「マインの雑記りたーんず」の「セブン」を読んで、「7」という数字で思いだしたこと。
マインさんの記事↓
http://matasaburousabure.blog.so-net.ne.jp/2011-01-23-6

ラッキー・セブンなんて言葉がありますが、映画「セブン」でもお分かりになる通り、いいことばかりの数字ではありません。

七つの大罪(罪源)はキリスト教用語ですが、聖書に出てくる言葉ではありません。
4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源とされていますが、アウレリウス・プルデンティウス・クレメンス(348-413 スペイン)の詩「プシュコマキア」という説も有力です。
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七つの大罪と四終 ヒエロニムス・ボス

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マンドラゴラ [ハーブ・アロマテラピー]

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マンドラゴラは引き抜かれる際に、恐ろしい悲鳴をあげ、それを聞いた者は発狂するか死んでしまう。そのため、ロープを根に結び付け、犬に引かせて掘りだすのが良い。犬はその悲鳴により絶命するが、犬と引き換えにマンドラゴラを手に入れることができる。

こんな恐ろしい言い伝えを持つのがマンドラゴラ
古くから錬金術や魔術に用いられており、グリム兄弟の「ドイツ伝説集」の『絞首台の小人』の話と結び付けられたり、最近では映画「ハリー・ポッター」にも登場したり(マンドレイク)…とまさにファンタジーの世界そのものです。

果たしてこんなあやしい植物が実在するのか――
マンドラゴラ(Mandragora autumnalis ナス科Mandragora属)
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地中海一帯に野生するナス科の茎のない、多年草で、卵形から長楕円形の縮れた大きな根生葉がロゼット状に生える。冬から早春にかけてブルーのベル状の花を花茎の上につける。梅の実大の実は春に実り、時には初夏まで野原にある。

古くからマンドラゴラには雄と雌が存在すると言われています。
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マンドラゴラの雄と雌

中世のヨーロッパではその言い伝えばかりが強調され、マンドラゴラそのものに関する情報はほとんど曖昧でした。
マンドラゴラには雄・雌はありませんが、春咲きと秋咲きの2種類が存在します。
春咲きのマンドラゴラは淡い紫褐色の花を咲かせ、果実はリンゴのようで甘い香りがします。おそらく「雄」と呼ばれている方。
また、秋咲きのマンドラゴラは縮みのある葉を地面に広げ、薄紫色の花を咲かせます。こちらが多分「雌」と呼ばれている方。

さて、その実際の効果は…!?

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解読できない本 [錬金術]

cucciolaさまのブログの中に「解読できない本の謎」という非常に興味深い記事がありました。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/2049117.html

暗号で描かれているのか、文字は解読できないそうです。
錬金術がかかわっているという噂ですので、その噂に基づいていこうと思います。

もともと錬金術師というのは、自分の研究の成果をそうやすやすと他人に教えてくれたりはしませんから、絶対に自分以外が読めないように暗号を作ります。
暗号の作り方も様々で、まるで無関係な料理のレシピのような暗号を作ったり、小説や神話にその暗号を隠す場合もあります。
[参考]
シェイクスピア・コードの補足と四つの元素
http://tarot-bibouroku.blog.so-net.ne.jp/2010-06-20
「カルタゴの女王ダイドー」 マーロウの作品2
http://tarot-bibouroku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-09

また、アルファベットを入れ替えて、全く読めないようにしてしまうケースもあります。
いずれにしても、作者が意図的に読めないように作成した暗号なので、ここからの解読は難しいでしょう。

書かれている文字を読むことができないなら、読む手掛かりは挿絵しかありません。

「絵を読む」のはタロット占い師の得意分野です。
本物のタロット占い師と素人を分けている一番のポイントはそこだと思います。素人は解説書を読みながら「正位置の意味は…」と、そのカードの説明ばかりを追いかけています。でも、本物はカードに描かれた絵の植物や着ているもの、持っているもの、置かれているもの…などの細部一つ一つから、その歴史的背景や象徴的意味を拾い、カードが伝えようとしているメッセージを読み解きます。もちろん、素人みたいに説明ばかりを追いかけてるプロ(←金が稼げるという意味)のタロット占い師もいますけどね。

話を本題に戻します。
もちろん、この本が解読できたわけではありません。あくまで記事の中にある画像からの推測です。

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魔女の軟膏 [歴史・人物]

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ドイツのハルツ山地には魔女伝説が多く存在します。例えば…
ある女が引き出しから軟膏を取り出し、それを全身に塗りホウキにまたがって煙突から飛び出した、など。
一見、ファンタジー小説のような荒唐無稽な話ですが、こうした伝説の中にはいくばくかの真実が隠されていることがあります。

現に魔女が空を飛ぶ際に使ったという魔女の軟膏レシピもいくつか存在しています。
●トクムギ・ヒヨス・ドクニンジン・赤と黒のケシ・レタス・スベリヒユを合せたもの4に対して6の割合でオイルを加え、テーバイのアヘンを加える
●人間の脂肪・ハシシュ・アサの花・ケシの花・ヘレボルス・ヒマワリの種

ケシ、アヘン、ハシシュ…は麻薬として現在も使用されていますね。他にもアルカロイドやアトロピンなど副交感神経に作用する成分の含まれた植物ばかりです。というか、一歩間違えば死に至るような植物も…。
というわけで、これらのレシピから言えることは、強い幻覚作用のある軟膏を体に塗り、ホウキにまたがってあたかも空を飛んだような幻覚を見ていた、ということではないでしょうか。

また、医師であり、錬金術師でもあり、今も本が医学書として用いられるスイスパラケルスス(本名:テオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム 1493-1541)も興味深いレシピを残しています。



↑今も読まれているパラケルススの本

●新生児の肉・ケシ・イヌホウズキ・トウダイグサ・ドクニンジン
これらを煮てどろどろにするというのです。
このレシピから推測されることは…

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ルルドの聖母 [キリスト教]

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1858年2月11日、ルルド村に住む14歳の貧しい家の少女ベルナデッタ・スビルーは、妹と友達の3人でマサビエルの洞窟のそばを流れる川で、薪にする流木を集めていました。
川の向こう岸のマサビエルの洞窟の方へ渡ってみようと思ったベルナデットは、川を渡るためにその場で靴と靴下を脱ごうとしました。その時、ベルナデットの耳には、ふいに突風が吹いた様な音が聞こえたが、まわりを見ても木々は少しも揺れていません。
気のせいかと思い、再び靴下を脱ごうしていると、またさっきと同じ突風が吹いたような音が聞こえたので、彼女は、今度はマサビエルの洞窟の方に目をやりました。
すると一部の木々だけが強い突風に煽られたように揺れており、マサビエルの洞窟から現れたと思われる金色の雲にまばゆいばかりの光が射していました。 目をこらしてよく見ると、その光の中には、これまでに見たこともないような美しい女性が立っていました。
その女性は、水色の帯を白いドレスの上に着けており、頭から白いベールを被り、手に白い玉と金の鎖のロザリオを持っていた。足は裸足のままで、足首には黄色い薔薇をつけおり、その姿は、まさしく聖母マリアそのものでした。
次の瞬間、ベルナデットはポケットのロザリオを出して一心に祈りを捧げ、しばらくすると、聖母マリアとそのまわりを照らしていた光は突然消えてなくなりました。 その後、最後の出現の日となる7月16日までの間に聖母マリアは合計18回も出現したといいます。 誰もが知っている「ルルドの泉」の伝説です。 …というわけで、2月11日はルルドの聖母の日なので、ルルドのセンター・メダイを使ったミニ・ロザリオを作ってみました。使った石はチェリー・クォーツ[ぴかぴか(新しい)] ミニロザリオ.jpg     通常のロザリオの祈りに使います。(2月11日以外でもOKです) また、チャプレットを使った祈りもあります。 チャプレット.jpg 興味のある方は↓をどうぞ。 http://hoarun.web.fc2.com/louds.htm チャプレットとロザリオの違いですが、ロザリオとは「ロザリオの祈り」に使うもの、チャプレットはその他の聖人や天使に祈りをささげる時に使います。

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ヒルデガルト・フォン・ビンゲン [歴史・人物]

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ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
( ユリウス暦1098年 -1179年9月17日)

アロマテラピーをする人間にとっては大先輩とも言うべき存在。
ドイツ薬草学の祖とされ、才能に恵まれ、神学者、説教者である他、宗教劇の作家、伝記作家、言語学者、詩人であり、また古代ローマ時代以降最初(ギリシア時代に数名が知られる)の女性作曲家とされ、中世ヨーロッパ最大の賢女とも言われています。

貴族の家の10番目の子供として生を受けますが、8歳のときにライン川支流のえーナ側の近くにあるデジボーデンベルク修道院に入り、後にここの修道院長となります。
この修道院には大きな薬草園があり、ここが彼女の出発点となります。
幼少の頃から神の声が聞こえていたというヒルデガルトの自然観の軸になっていたのは神への強い信仰だったと言われています。
もちろん、神の声が聞こえたなどと言えばジャンヌ・ダルクのように異端と見なされるので、その辺は公にはせず、1141年、『道を知れ』 (Scivias) の執筆を開始し、自らの幻視体験(後の彼女自身の言葉によれば「生ける光の影」(umbra viventis lucis))を初めて公けに表明しました。

その後、1151年に有名な薬学書『自然学』(Physica)を執筆。
内容は自然界における植物、動物、鉱石が人間の身体に与える効用を述べたもので、その数200種類以上と言われています。

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相馬黒光 [歴史・人物]

明治43年、彫刻家・荻原碌山(1879-1910)は吐血し、障子や真っ赤に染めながら、その30年の生涯を閉じました。
彼の死後、「女」という彫刻が発見されたのですが、これを見た子供たちは「かあさんだ!」と叫びました。
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荻原碌山「女」

この「かあさん」とは…
明治時代にアンビシャス・ガールと呼ばれた相馬黒光(1876-1955)。
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左が黒光(インドのサリーを着て)

小学校卒業後、ミッションスクール宮城女学校に入学したものの、1年ちょっとで自主退学、次に横浜のフェリス英和女学校(現・フェリス女学院)に入学するもこちらも退学。1895年明治女学校に転校し97年に卒業。
翌98年に養蚕事業家として活躍していた相馬愛蔵と結婚しました。嫁入り道具はオルガンと油絵。家財道具は一切持ってきませんでした。
碌山と黒光の出会いは、17歳の碌山が田んぼで写生していた時のこと。
この時から、すでに結婚していた4つ年上の黒光は碌山に芸術や文化を教え、彼の想像力と情熱をかきたてるミューズとなるのです。

碌山が彫刻家になろうと決心したのは1903年にパリに渡り、アカデミー・ジュリアンで学んでいた時のことです。ロダンの作品に出合った時でした。直接ロダンの教えを受けたこともあり、ロダンは後に「(碌山は)フランス人よりもよく理解した」と言っています。

1908年、碌山はパリから帰国します。
そして自分を芸術に進むきっかけを与えてくれた黒光との再会を果たします。
この頃、黒光は夫と共に東京に出店していました。
商売も軌道に乗り、東京での順調な生活が続くはずでした。が、そんな矢先、夫に愛人がいることが発覚します。そんな黒光を支えたのは碌山でした。
碌山は彼女の身を案じ、彼女の店の近くにアトリエを構えました。
碌山と黒光、そして黒光の夫や子供たちも含めた不思議な生活が続きます。

碌山の黒光への同情の気持ちはいつしか恋に変わります。そんな碌山に黒光は、時に甘え、時にはぐらかし…そんな態度で彼の気持ちを翻弄します。

知識も才能もあり、商才もある黒光ですが、時に碌山に甘えて見せる――黒光にはいくつもの顔が見え隠れしました。

ある時、黒光は碌山に文覚上人の話をしました。
武士・文覚は人妻との恋に悩み、夫を殺そうとしたところ、誤って愛する女性を殺めてしまい、それが原因で出家します。
話を聞いた碌山は鎌倉の成就院にその像があることを調べ、黒光を誘いました。
碌山は文覚上人の像を見て、作者自身の歴史が刻まれている、と感慨無量になったといいます。
なぜ、黒光は碌山にこの話をしたのか。そしてそれを聞いた碌山は何を感じたのか…。

そして碌山作の「文覚上人像」「デスペア」といった作品を次々作ります。
この頃、黒光は夫との子を宿していました。
どうにもならない絶望――黒光への思いをある像へ託します。
これが「女」です。

碌山の死後も彼女は本業の傍ら、サロンを営み、芸術家たちのパトロンをしながら80年の生涯を閉じます。


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